忍者ブログ
  • 2024.10
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2024.12
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/11/22 13:29 】 |
SEO日常の合理化の構想
  サーチエンジンの計算方法は絶えず変化したので、だから駅長達は絶え間ないのがとを学ばなければならない進歩的で、ようやく長いことができるのは生存し続けて、多くの駅長がキーワードをしていった後に困惑しました!青は詰めて次に自分でこの方面の収穫をいくつか分かち合って、れんがを投げて玉を引いて、みんながれんがの交流をたたくことを歓迎します!

SEO日常の作業

一、最新の知識を調べて吸収して、たとえばA5、SEO研究センター、CHINAZなどはすべて良い地方です!

二、毎日1篇のSEOの収穫の文章を書いて、これっぽっちの羽はするのがとても悪くなくて、みんなが学んで参考にすることに値します!

三、毎日少なくとも50のキーワードを検索してそして規則を総括します

たとえば私はステンレスをするので、私はステンレスと関連のキーワードを検索して直ちに最新の動態を調べます

1、底部の関連の検索に関心を持ちます:,関連の検索のキーワードも語を広げるために関連の語で、それはいくつか問題を説明します。

a 最も前の語は流量が最大で、順次少しずつ減らします;

b 関連の検索はいつも変化したので、1つの問題を説明します:注目個所は変化して、変化ので量を検索して、ユーザーの需要、関心度(度合)も変化して、

そのため、私達のページの内容も変化を必要としたのです。私達のページの需要の時間は調整します。きっとユーザーの需要によって変化に来ます。

2、毎日順位の上位3名のウェブサイトに対して比べます:

もしも百度の百科は列は前ならに、分析のそれの内容の全面性は豊かにする性と重要な内容の順序でさえすれ(あれ)ば;
カルティエ ネックレス
Baidu百科の語の条はよく人に編集しなければならないのです。

それの内部のリンクと関連している地域を分析して、それが2級のドメイン名あるいはトップページなことを見ます

四、もし条件は1つのドメイン名が1つのウェブサイトとSEO探求を行うことを用意することを許すならば、悪くなくて多くの友達は恐らくすることができなくて、青が詰めてSEO研究センターに行って最新の動態と資料を調べることを提案しています

五、吾日3省自身を古人は云って、SEOは同じで、すべて絶えず学んで総括する中で進歩的で、知識と経験はこのようにゆっくりと累積し始めます!

構想を合理化します

1、SEOは作ったので、力のある今日を実行します

2、SEOはきっとデータアナリストで、事実で話をします。たとえば:収録します 逆方向のリンク 関連の地域 PR ALAXE キーワードは位置します PV 転換率 IIS クモははって進みますデータ 私達はデータに対して、密度、ページの似ている度(度合)は敏感になります。

3、優秀なSEOはきっと1つの編集の達人で、収穫は柔らかい文に類似して、偽りのオリジナルを通じて(通って)練習に来ることができることを始めます。青が詰めてキーワードを含むと思って、またまたユーザーの体験がすむことに影響しない吸引力があります

4、SEOは利益の最大の化を要します:SEOは利益を実現することために。もし利益がないならば、どんなにすごい語はすべてそれを放棄しなければなりません;

時間あまりに長い話を合理化して、しばらく先に放棄することを提案しています。最も短い時間は最大の価値に発生します。学会は適切な時SEOの中で重要な構想なことを選んで放棄します

以上は私自身の収穫で、しばらくこれらが最後に青かったについて詰めて再びおりることを強調しています:事実上、自分のみごとなことを譲るのはよく知識ではありませんて、精神です! もしあなたはいつも自分で口実を探すためならば、それではみごとに遅らせることを譲るほかありません。実行力、今日!


PR
【2011/06/05 18:29 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
宮崎駿作品での女性像について(五)

5.3飛行能力をもている

宮崎作品の少女たちは善良さ正直さ聡明さなどのほかに、飛び回るという特殊能力をもつ少女もいる。宮崎駿自身はさまざまな夢を持っている方だそうで、彼の作品を調べてみれば、彼はずっと空を飛び回るのを題材にして作品を作っている。空へ飛ぶのに対して、特別な感心を持っているようだ。彼の作品は素朴で清静なのに、人々に深く考えさせるのだ。彼の世界の中で、空を飛ぶという描写は彼の映画の中で充実している、『魔女の宅急便』では、魔女キキは竹ぼうきを使って呪文を唄え、どこでも飛んでいくことができる。『天空の城 ラピュタ』のシータが飛行石を使って飛び回る。少女たちがこの才能に任せていきたいところへ飛んでいくことができる。少女たちは空の世界で理想を持ち、永遠に活力を維持するのだ、空を飛びまわる能力によって、彼女たちは空を飛び自由を掴めた。chanelピアス

子どもの頃、みんな夢を持っていた、「将来私はになりたい」っていう作文は誰でも書いたことあるんだろう、しかし、年をとったことや周りの環境の変化によって、ほどんとの人が夢をあきらめたり、捨ててしまったり、もっと現実的になって変わってしまった。我々現代人は宮崎作品中の少女たちのように、永遠に理想をもって、夢を実現するために一所懸命頑張っていくべきではないか。

おわりに

以上の分析からみて、宮崎作品において不幸な影を持っているが、善良で母性を持ち、リーダーシップをとって、世界を救うために自由のために全力戦う少女が多いことが明らかになった。第1として、宮崎作品において女性登場人物の役柄、年齢、生き方多様に描かれたことが明らかにわかった。第2として宮崎作品中の少女像を分析結果によって、主人公や準主役の少女たちの生き方がさまざまであったが、普通の女の子として描かれたことが多いのが分かった、そして、脇役の女性たちも年齢層や出身が幅広く、多様であることがわかった。第3として、宮崎作品における少女たちの共通点を分析した、とても母性的であること、身体に毒をうけ深い悲しみを持つ、どこか冷たい美しさがあるが、不撓不屈の強い精神力を持っていること。だい4として、宮崎作品の女性の表現からみて宮崎駿氏自身の思いを分析した、作品の中で女性表現することによって無意識的に自分自身の母親への思いと容姿への繊細な思いを反映したのであることが分かった。第5として宮崎作品の少女たちの特徴総括して今の世の中の人たちはなぜその少女たちに憧れているのか分かった。彼女たちの逆境の中で、屈服せず、自分の夢を持って、努力し自分の存在価値を表すことや、人生の苦悩がありながら、世の中、即成している狭い領域を突き破って、勇気と正義感があり、自発的に世界を救う責任を引き受けること、自分のみちを自分で選んで、自分の尊厳を持って自分らしく生きていくことではないかと思う。

宮崎作品を研究した結果と言えば、従来の中心人物の女性が弱小で従属者で描かれる作品と違って、宮崎作品において、女性は主導権を握り、中心的に活躍する機会がより多く与えられていると考えられる。

以上、宮崎作品での少女を中心にそれぞれの作品内容含めて、研究した。宮崎作品における女性像は、従来の従属的な女性で描かれることが少なく、すぐれたリーダーシップを発揮してすばやく行動し、積極的に生きる女性の姿である。それを漫画、アニメーションや映画など、通して世の中の人々に発信していることが今回の研究で論証され、現在の人々を激励し応援してくれているようではないかと思われる。

我々現代人は宮崎作品中の少女たちのように、逆境の中でも、立ち上がって不撓不屈、夢のために努力し、勇気や正義感、責任感を持って、社会の一員の責任を果たせていって、この世界がよりよくなるために、頑張っていくべきではないんでしょうか。

今後の課題については本分析により、宮崎作品における少女像を観察研究したが、その少女像は実際に世の中のひとにどんな影響与えているかを調査する必要があると思う。現代の社会を宮崎駿を切り口に見つめ直そうという説もあるが、宮崎駿現象が世の中をどれくらい変えていったのか、どのくらいの人が作品に登場する少女たちから積極てな生き方を学んだか、これらを調べていこうと思う。

最後に、この研究をするのに、私は宮崎作品と宮崎先生を見直した、最も感じたのは、“すばらしい作品だ”という思いである。アニメファンから始まった研究なので、どうも主観的な意見を書いてはいけないと思いながら、より多く客観的な意見を加えたと思うが、好きなことを研究対象にしては、感情的にならないように、結果を出せたのは、これも人生の成長ではないか。

【2011/05/17 17:57 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
宮崎駿作品での女性像について(四)

4.宮崎監督の無意識的な思いの反映

4.1母親への思い

宮崎監督の女性表現は特徴的である。
[
1]親がいないこと(とくに母親がいなかったり、いても冷たかったりします。)chanelネックレス
[2]成人女性が傷をおうこと(クシャナ、エボシ、モンスリー)
これらは、宮崎監督の子供時代より、母親が大病だったことからきているようです。また、女性一人が大勢の男性を従える構図(ラピュタのドーラの他)というのも、4人男兄弟だったところからきているようです。
一方、少女が過度に母親的性質を担っているのも、同じだと思われる。
なお、老婆がよく活躍しますが(ドーラ、湯婆など)、年とった母親の介護が影響しているようである。
  4.2容姿への繊細な思い
  宮崎監督は、自身の容姿について、過度に自信が無いようである。
  そしてそれは、「異形のものと仲の良い少女」というテーマを生み出しました。(トトロ、オーム、ポルコロッソなど)
 そして、この「異形のものと仲の良い少女」というテーマは、「兵器への愛着」
というテーマと交じり合い、「巨大な力(兵器)の鍵を握る少女」という像を生み出した。
  ラナから千やソフィーに至るまで、女性は、常に自分以上の力の管理者であった。

宮崎作品において、女性を3つの表現をされている。
1.母親のような少女として
2.体に問題がある気丈な美しい女性として
3.元気な老婆として

さまざまな文学作品の中で、作者自身の経歴や感情を書き込むのは珍しくもない、宮崎先生も例外ではない。宮崎先生は作品に無意識に自分の感情を反映し、強く母性とリーダー的な女性への憧れを独特な手法で表現していた。

5.宮崎作品中の少女像を総括して分かったこと

宮崎作品中の少女たちを観察するだけで、彼女たちの特徴を発見するのは難しくもない。通常の映画や漫画、アニメに登場するヒロインの優しかったり、情熱的だったり、また、冷ややかだったり、さまざまだが、宮崎作品中の少女たちがそのような存在意義ではない、彼女たちは、聡明で有能な少女である。自分の夢を持って、真剣に努力し、自分の存在価値を体現している、彼女たちは自分の生き方、人生の苦悩がありながら、自分の道を自分の手で選んで成長してゆく。彼女たちは男女の関係など狭い領域を突き破って、社会一員として、彼女たちなりに自分の尊厳を持って、自分らしく生きていくといえるでしょう。

5.1少女の勇気と正義感、責任感

宮崎先生が創造した救世主は正義感、責任感があり、知性と勇気を持っている少女である、どんなピンチな状況の中でも、主人公の少女たちは絶対に仲間たちを捨てて逃げたりすることはない。ストーリーの懸念はこの一人の少女の力でみなを救うことができるかどうかってことだ。少女たちはいつも自発的に世界を救う責任を引き受ける、少女たちは人々を安心させて世界を救うのは使命のようであった。

現在、世の中、英雄や救世主がほしいと思う人は少なくないんだろう。宮崎駿の現実感覚は現在の世の中が失ってしまったものだ。だからこそ、アニメーションの中でそれを再構築した宮崎駿は読者の心を掴みとった。

世の中のみんなは英雄がほしいというわけが、まさに大変な時に自分を助けてくれるひとがほしいではないか。しかし、筆者が最近“情けは人のためならず”ということわざの誤解を勉強したときにわかったことですが、このことわざの正しい意味を以下の3つのどれでしょうか?

1)情けをかけるとその人のためにならない、情けをかけることに注意

2)人に情けをかけると、結局は自分にいいことがある。人には情けをかけるものだ

3)人間をかわいがっても、なんにもならない。犬や猫をかわいがった

ほうがましだ

正解は(2)だった。「答え(1)を選んだ人は10.20代が多い」という、

この正解について、ここで弁論する必要はないが、ただ一つのことが気になっていた、

英雄やヒーローは人を助かる前に、みんな自分になんかいいことがあるかどうかって考えていたのかな。筆者は人に情けをかけるのは自分にいいことがあるからこそかけるわけではないと思う。

宮崎作品中の少女たちの自発的な責任感や正義感、勇気は我々現代人が失っていたものではないか。

5.2少女の無邪気で利発

宮崎作品の中で、無邪気でかわいくて、かしこい少女が多い、『となりのトトロ』の少女サツキと妹のメイが親と一緒に田舎に引越した。病気で入院した母を見舞うため、父がいつも留守している。二人の少女は自分たちだけで周囲の新しい環境を知っていくしかない、妹のメイはトトロを見て、少しでも恐れず、親しそうにトトロをよび、のんきに話しかけた。言葉が通じなくても感情の交流に少し影響されていない、これは無邪気さがもたらす勇気ではないか、サツキはメイを背負ってトトロにぶつかった、少し恐れがっていたが、好意で傘を1本トトロに渡した。これは、善良さがもたらす勇気ではないか。母の病状が悪化し、帰宅することができなくなって、メイが林の中ではぐれて、サツキは古いゴムの木を探して、トトロにお願いし、猫バスを乗って、妹を探しに出た。トトロシンボルしている、奇異な生物はただ子どもだけがみることができる、それは夢が神聖なものだということを表現している。

現代の社会人にとって、まさにこの純潔な心が我々の失っていた大事なものではないか。

【2011/05/17 17:55 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
宮崎駿作品での女性像について(三)

3.宮崎作品中の少女たちの共通点

3.1母性

母性というのは宮崎アニメにとって最も重要なキーワードである、宮崎作品の少女たちはとっても母性的であった。『パタンコパタン』のミミちゃんなど典型的であるが、『天空の城 ラピュタ』のシータ、『未来少年コナン』のラナなど、いずれも母性的である。典型的なシーンは少女が大人たちを相手にしても、母親同然に振り舞うシーンである。例としては『パタンコパタン』のミミちゃん、『天空の城 ラピュタ』において、海賊たちに食を用意するシータ、少女ながら大人の男たちの母親のように振り舞うシータや大きくなった子どもたちに指図するドーラ、多くの人にとってまさに母である。ナウシカも瀕死の兵士を胸に抱いて、悲しみに泣く城オジたちを胸に抱いていた、印象深い名シーンなど典型であるが。同様に、少女が母親同然に振り舞う姿は、強大な生物やロボットなどに命令するシーンにも見られる。例としては、『天空の城 ラピュタ』において、ロボットに命令するシータ、『さらば、愛しきルパンよ』において、ラムダに命令するマキ、ナウシカにおいて巨神兵に対して母であると宣言するナウシカ、このような母親的な少女はまさに宮崎駿氏の母親を表現しているようではないかという説もある。この点については、宮崎駿氏の弟の宮崎至朗氏の発言が参考になる。“兄が幼い頃のことですが、母が78年入院していたことがあるんですよ、寂しい思いをしたんでしょうね”。強く母性に憧れをもつ宮崎先生ならではのヒロイン像といえようか。カルティエネックレス

宮崎作品に登場する少女たちの共通点のひとつは母性的である、このような表現はまさに宮崎先生自身の強い母性への思いだからでないかと思う。

3.2逆境

身体に毒を受け、深い悲しみをもつ、どこか冷たい美しさがあるが不撓不屈の強い精神力をもつ。これはいうまでもなく、宮崎アニメの多くに共通するもチーフである。トトロにおける療養中の母。もののけ姫におけるエボシ。アニメ版ナウシカにおけるクシャナ。彼女達の共通点は、身体が不自由であり、ひどい経験があり、どこか冷たい美しさをたたえている点である。宮崎駿監督は、彼女達の詳細は語らず、ただ、こういう。
エボシは本当にかわいそうな女なんです。クシャナは本当にかわいそうな女なんです。彼女達が、どれほどかわいそうなのかは、ほとんど実際には説明されない。ただ、宮崎監督は、彼女達の苦しみを力説する。言うまでもなく、彼女達のモデルは、宮崎駿監督自身の母である。
彼女は、難病をわずらい、少年期の宮崎監督をおいて、療養生活を送った。母はどれほど、子供たちをおいて療養を続けることでさみしかっただろうか?しかし、子供から見れば、それは一層さみしいことだろう。「兄(宮崎駿監督)が幼いころのことですが、母が7~8年入院してたことあるんですよ。寂しい思いをしたんでしょうね」(弟の宮崎至朗氏談)おそらく、彼は、自分が、母に愛されていない子なのではないかと考えざるをえなかったのではないだろうか?ナウシカが、母は優しかったが自分を愛していなかったと考えざるをえなかったように・・宮崎駿監督は、当初、ナウシカに母を見ていたこれは、母性的なものへの憧れ、甘えが出ていたと思う。しかし、ナウシカと牧人との戦いの中で、おそらく、ナウシカが自分自身の深層意識に入り込み、自分自身と対決せざるをえなかったように、宮崎駿監督自身も、自分自身の深層意識に入り込み、自分自身と向かい合うことになった。その結果、ナウシカは、おそらく、「母は自分を愛してはいなかった」という言葉につきあたる。自然的なもの、母性的なものへの漠然とした憧れが、深層としては、自分が子供時代に抱えていた寂しさに起因する可能性に直面したのだろう。そして、風の谷のナウシカという作品は、根本的な変化を遂げる。自然や母性への崇拝から、生命論の物語へと。そこでキーになるのは、もはやフカイではない。
子供3人を生みながら長期療養しなければならなかった自分の母であり、11人の子供を生みながら、自分の体内の毒によって10人の子供を殺してしまったナウシカの母である。それは、宮崎駿監督の以下の、生命の誕生に対する認識の言葉ともひびきあっている。
 
「恐竜はいわゆる恐竜的進化の果てに滅びたと言われていたのが、このごろは違ってきました。ネメシスが因果応報の罰を与えたのじゃなくて、巨大隕石が地球に衝突して、それで滅びたとかね。地球が大地殻変動期を迎えて、大噴火を繰り返して、それで7割ぐらいの種が絶滅して、更新が行われたとか。地球はやさしくないんですよ。滅びたのは恐竜自身のせいじゃなかった。地球のせいだった。」
 
「カンブリア紀の爆発が偶然だったんだ。今の形も、自分たちが残っているのも偶然だったのだ」
つまり、当初は自然崇拝母性崇拝であった物語が、以下の気づきと認識を受け、テーマが揺らいだのだ。

[1]母性への憧れは、母に対する寂しい思いから生まれていたという気づき

[2]生命とは、ある偶然の状況により誕生したものであり、やさしさから生まれたものではない。そのために、いろいろな矛盾を抱えながら生きていくものであり、業を背負ったものであり、残酷であり、絶望を本質としてもって言う認識
 
その結果、生命の本質とは母性賛歌で済むようなものではなく、生き物としての業をかかえながらも、それを乗り越えようとするものであるという結論に変わったのだ。
そして、ナウシカという物語は、自然の復活へという憧れ、母への憧れを捨てる。テーマは、業を背負ったまま、生命としていき続けることの重要性にポイントは変わる。毒をなくすのではなく、毒とともに生き続けること。母への憧れを追い続けるのではなく、愛情がない母であっても、その業を引き受けて生きていくのが生命であるということ。

ナウシカの母についての宮崎駿監督の発言集《宮崎駿全書》
「ナウシカのお母さんは、どうだったのか。決してナウシカに邪険にしたとか、いじめたとか、そういうことじゃないと思うんですよ。どこ かで、一番深いところではフカイ絶望があったんだと思う。
「ものすごく優しい人でしたが・・」といっているから、優しかったんですよ。村人にも、彼女に対しても優しかったと思う。でも愛するのとはちがうって。」
「例えばナウシカは、この子は何か傷をもっている子だなということは、前から思っていたから。そうすると、母は私を愛さなかったという方が、読者には唐突でも彼女の存在そのものと一致する。自分でも納得できる

“逆境だからこそ英雄が出世する”。宮崎作品中の少女達の共通点は、身体が不自由であり、ひどい経験があり、どこか冷たい美しさをたたえている点である。この逆境こそ宮崎作品の人物創造が成功した最も重要な要素のひとつではないかと思う。現代人にも同じような思う通りにいかないときあるんだろう。それは人生のひとつの試練ではないかと思えば...

【2011/05/17 17:52 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
宮崎駿作品での女性像について(二)

2.宮崎作品における少女像

宮崎作品に登場する少女はどんな特徴を持っているか、役柄の特徴、行動特性などを述べた上で、宮崎作品に登場するそれぞれ少女たちの描かれ方に一定のパターンがあるとみられるが、それぞれ少女の生き方が異なっていた。

2.1宮崎作品における主人公や準主役少女像の分析

一般的なアニメや漫画の主人公や準主役の役柄については、お姫様や普通の女の子、もののけ姫、魔女などさまざまであった、宮崎作品登場する少女について、お姫様はシータとナウシカ、もののけ姫は山犬に育てられたサンと一般家庭で育てられた普通の女の子なら、千、キキ、サツキ、ソフィーなどがいた、魔女については、『魔女の宅急便』の主人公キキは魔女の母と民俗学者の父を持って、育てられた、普通の女の子である魔女として、一人まえになる為、見知らぬ町で自活しなければならない、『ハウルの動く城』の主人公ソフィーは魔女に呪いをかけられて、お婆ちゃんとして生きることになるが、もともと父親の帽子屋を継いだ、18歳の普通の女の子である。『風の谷のナウシカ』の主人公であるナウシカも大国のお姫様というイメージではない、これらの、宮崎作品中の主人公や準主役である少女たちは、普通の女の子として描かれる傾向が多いのは分かった。 

ナウシカが単なる族長の娘ではなく、風を読み、風車の修理も行い、腐海の植物も研究し、村の人々リーダーでもある職業集団というよりもその特殊事情の中で、風を読み取って生きていかなければならない人というものであるでしょう。『千と千尋の神隠し』の少女千尋は一般人の両親とともに引越しの途中のトンネルの向こうにある不思議な町へ迷い込む、名前が奪われ、「千」という名で働くことになるなど。

宮崎作品に登場する主人公や準主役の少女像の特徴といえばさまざまな出身の普通の女の子が逆境の中で戦うのである。

2.2宮崎作品における脇役の分析

脇役の役柄については、お姫様、母親、魔女、経営者などリーダー的に活躍する少女として描かれたのは多かった、『天空の城 ラピュタ』に3人の息子を持っている母親のドーラがシータを追いかける場面ではドーラが息子たちや空中海賊たちの皆男性の誰よりもすばやく動き、アクション的であった『風の谷のナウシカ』のトルメキア軍のお姫様であるクシャナは非常に公正な王になれる力を持っている優秀な前線指揮官である。魔女については『ハウルの動く城』に登場するソフィーを90歳にする荒地の魔女と王室の魔法使いのサリマンが挙げられる。経営者としてリーダーシップをとっていた女性といえば、『千と千尋の神隠し』に登場するタタラバエボシ御前と油屋湯婆が挙げられる。

宮崎作品中の主要な役割はリーダーシップを発揮して行動することが前提で、ストーリーの中で必ず主役や準主役と一度敵対立関係になるパターンが多かった。このような脇役の少女や女性は主人公や準主役と同じように活躍的に描かれることが多かった。

役柄の特徴として、さまざまな年齢の女性が描かれていた。幼女から老婆までの女性が登場し、女性の年齢層が幅広がった。宮崎作品の主な登場人物の年齢については、メイ(4歳)、千尋(10歳)サツキ(11歳)シータ(12歳)キキ(13歳)ナウシカ(16歳)、フィオ(17歳)ソフィー(18歳)クシャナ(25歳)ドーラ(50歳)ソフィーのお婆さん(90歳)大ばば(100歳)歳であった。人間以外の登場人物ではサンの母親山犬『もののけ姫』300歳で全作品中登場している最年長であった。シャネルネックレス

宮崎作品に登場する脇役の特徴といえば出身や年齢層が幅広くて、重要な脇役も主人公や準主役と同じように活躍的である。
【2011/05/17 17:51 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<前ページ | ホーム | 次ページ>>